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‘(静岡県掛川市)龍登院本堂新築工事’ カテゴリーのアーカイブ

甍の美

2013 年 5 月 6 日 Comments off

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ここ掛川の地でも春が過ぎ茶畑の新芽が鮮やかな季節となりました。

更新が少々遅れ気味ですが引き続き、前回の瓦工事の続きです。

四隅に鬼瓦が付けられると、屋根の頂部である棟に向かって熨斗(のし)瓦が積み上げられていきます。

熨斗瓦もよく見ると、曲っている(反っている)事に気づくと思います。

今回の工事では、棟には鬼瓦を用いずモデルとした奈良の秋篠寺同様鳥休み(鳥伏間:とりぶすま とも呼びます)を採用しています。

御住職と設計の野村氏の要望を、瓦工事を担当する渡邊商店の寺本氏が調整し鳥休みの製作に掛かりました。

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待つ事1ヶ月余り。

窯から出た鳥休みを棟に取り付け本堂の瓦工事が完了しました。

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建物を雨風から守る事を目的に発達した瓦ではありますが、美しく見せる事も同様に重きを置かれて発達しました。

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先人の知恵と技術により瓦の美を受け継ぐ建物は、現代では社寺建築が過半を占めるのみかもしれません。

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次回は現場の主役が瓦工事から造作工事に変わった模様などを紹介したいと思います。

瓦葺きはじまる

2013 年 2 月 8 日 Comments off

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慌しく年が明け、遠州の空っ風に悪戦苦闘しつつ工事は進んでいます。

本堂の屋根仕舞いが完了するのと同時に屋根瓦葺き工事が始まりました。

現在は社寺建築でも土をほとんど使用しない乾式工法が主流になりつつあるようです。

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土での瓦の微妙な調整が出来ないので下地に精度が要求され、かなりの労力を要します。

瓦を葺いていない下地の状態だけでも何かしら幾何学模様的な美しさを感じました。

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今回の工事では本葺一体瓦という、丸瓦(素丸)と平瓦(本平)を一体成型した瓦を採用しています。

本葺と比較して軽く、重厚感はそのままに耐震性の向上に利点があると言われています。

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軒の先端の丸瓦(軒巴)に刻まれた模様は、蓮華紋と呼ばれる文様です。

奈良時代に広く使われていた文様です。

建物の様式に合わせて今回採用されました。

ちなみに鎌倉、室町時代になると三つ巴などの巴紋がよく使われたようです。

時代によって文様の流行があり興味深くもあります。

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本堂の瓦葺きもご覧のように棟と鬼瓦を残すのみ。

但しこれからが出来を左右する箇所であり葺師が一番神経を使う箇所であります。

 

 

 

曲線美を追求する

2012 年 12 月 28 日 Comments off

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今年も残り僅かとなりました。

今回は堂宮建築の美しさを左右する屋根まわりを中心に紹介します。

上棟式終了後、軒廻りの作業に取り掛かりました。

今回の工事は、垂木が地垂木と飛燕垂木(ひえんたるき)の2段で構成される二軒と呼ばれるものです。

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垂木をよく見ると、曲線を描きながら先端に向かって細くなっている事に気づくと思います。

これを居定垂木(いじょうたるき)と呼び、軒に軽快な印象を与える役目を担っています。

 

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垂木の上には茅負(かやおい)、裏甲(うらこう)、切裏甲と呼ぶ部材が積み上げられていきます。

今回は総反りという軒先が全て曲線で形つくられる様式を採用しており、上に挙げた部材全てに直線のものはありません。又、隅にいくに従ってその厚みも増していきます

軒先に直線が無い為、垂木の断面も全て菱形になります。つまり垂木の断面の形は中心から端まで全て形状が異なります。

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軒が深ければ深いほど、その建物が美しくみえます。

当然の事ながら軒が深ければ建物に雨がかかりません。

軒を深くする為に約800年ほど前に発明されたのが桔木を使用した工法です。

上の写真の桁から軒先に取り付けられた丸太がそれにあたります。

桔木の自重によりテコの原理で軒先の荷重を支える事ができます。

 

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そして最後に紹介するのが振れ隅とよばれる工法です。

軒先の隅部から屋根上部の棟までのラインと軒先の隅木(写真の白い部分)の角度が異なっている事がわかると思います。又屋根の勾配(軒先から棟までの角度)も写真の右と左では異なります。

これは屋根の最上にある棟を長くして屋根に安定感を与える為の工法です。

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今回はかなり専門的な話しになってしまいましたが、全ては建物を美しく見せる為。

日本人の感性に合うように、緩やかで自然な曲線を追及した先人達の知恵の結晶なのです。

私感ではありますが、美を追求する最後の砦は造り手達の強い思い(執念)かもしれません。

曲線を追求した技法と工夫はこの現場でもまだまだありますが、またの機会に紹介したいと思います。

 

鬼瓦刻字

2012 年 12 月 8 日 Comments off

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現場では寒風吹きすさぶなか本堂の建方(たてかた)が進んでおりますが、今回は瓦の紹介です。

去る11月15日、瓦工事を担当する藤枝市の渡邊商店さんの工房へ御住職をはじめとする寺院関係の方々と設計の野村氏と共に赴きました。

目的は鬼瓦に記念の字を刻む為です。

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由緒、日時、御住職や檀家様の名前などを御住職と檀家様がヘラを片手に鬼瓦に刻みます。

本堂の屋根の形状は「寄棟」と呼ばれるもので、屋根の頂上である大棟には鬼瓦はつきませんが四隅へ合計8箇所鬼瓦があり、その全てに字を刻むのに数時間を要しました。

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上の写真はこの鬼瓦の型で石膏でつくられています。

今回の工事の為だけにつくられた、唯一無二の鬼瓦であり、この石膏の型も二度と使われる事はないでしょう。

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ちなみにこの鬼瓦は「古代鬼面」と呼称されます。

頭に角が生えた鬼という定義がまだない時代の意匠で厚みが薄い事も特徴です。

本堂は奈良時代の様式を模しており、時代背景を合わせて古代鬼面が採用されました。

これから約1ヶ月程度乾燥させて窯に入れる事になります。

縁(えにし)は巡る

2012 年 11 月 16 日 Comments off

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上棟式が終了して半月ほど経過しました。

ここで時間軸を巻き戻して上棟式までの工事の模様を紹介します。

 

土台、柱、差鴨居と現場での組み付けの後、軒桁を取付け梁丸太を掛けます。

先ずは柱上の肘木(ひじき)から。

今回は舟肘木と呼ばれる最もシンプルな意匠です。

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見え掛かりの桁(丸桁:がぎょう)、構造上の桁(野桁)と梁が組み上がると大船渡より運ばれた松丸太の梁を掛けていきます。

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後で聞いた話ですが、龍登院の御開祖は奥州藤原氏の末裔であり、藤原氏滅亡後、近江の国へ落ち延び、そして巡り巡って遠州の此の地に辿り着いたと言い伝えられています。

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この松丸太も奥州より同じ様に巡り巡って此の地に辿り着きました。

「不思議な縁を感じます」と言われた御住職の言葉が強く心に残っています。

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少々話しが脱線しましたが、松梁が組み上がると工事は小屋組みへと移行していきます。

ここで加納棟梁の提案により急遽御住職に御足労願いました

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棟木の下の地棟と呼ばれる部材に刻字して頂きました。

蛇足ではありますが、古来禅宗の棟札は一般的な棟札とは異なり梁上銘と呼ばれる細長い板2枚に文字を刻み、梁(虹梁)の下面に取り付けたそうです。

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こうして地棟(二重)をのせ、そして棟木をおさめました。

ここまでの流れはダイナミック且つテンポよく工事が進んで行くので何度経験しても飽きるものではありません。

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上棟式

2012 年 10 月 29 日 Comments off

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平成24年10月28日。

上棟式が厳粛に挙行されました。

生憎の空模様でしたが多くの方が参列し、場外では合羽を持参して見学される方々も多数見受けられました。

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上棟式の始まりは法要から。

大般若転読ではリズミカルな太鼓の音と共に大音声でお経が読み上げられ、場が次第に盛り上がっていきます。

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続いて真打ち、「工匠之儀」。

工匠が装束に身を固め、儀式を行います。

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若手3人も初めての経験で緊張した面持ちではありますが、無事乗り切る事ができました。

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工匠の儀の大詰めは「槌打ちの儀」。

加納棟梁が永遠に栄える事を願い弊を振ります。

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工匠の儀の後は、挨拶、鏡開きと滞りなく式は進行し、上棟式が終了しました。

そしてお待ちかねの餅投げ。

投げに投げたり37俵(約2.2トン)。

数百人の方々が参加し天候など物ともしない、大変めでたくその日を終了する事ができました。

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上棟式は無事終了しましたが、工事はまだ半ば程度です。

この勢いで最後まで工事を無事に終わらせたいものです。


 

 


 

 

 

建方はじまる

2012 年 9 月 30 日 Comments off

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遂に建方が始まりました。

入念に養生された木材を搬入すると、すぐさま土台伏せを行い建方の準備に取り掛かります。

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最初に建てる柱は内陣(ないじん)廻りから。

内陣とは御本尊を安置する空間で、御堂の最も重要な場所です。

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内陣廻りの柱を建てた後、立柱式を執り行いました。

澄み切った青空の下、総代様方と工事関係者が工事の無事を祈願します。

参列された総代様方も、この日を心待ちにしていた事でしょう。

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立柱式が終了すると同時に建方が再開されます。

足固め(一番下)、差鴨居(中段)、二重差鴨居(一番上)等の横材を柱に取り付けながらの建方です。

難易度の高い施工ですが加納棟梁の指示の元、総勢9名の大工衆が滞る事なく全ての柱を無事所定の場所に納めました。

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この後松丸太が掛かり、屋根の構造である小屋組みが始まりますが、この段階でもかなり見ごたえはあります。

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建方迫る

2012 年 9 月 12 日 Comments off

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現在社寺工場では、加納棟梁を含め10人の工匠たちが建方に向けての刻みを行っています。

大船渡より運ばれた松丸太も仕上げの段階に入りました。

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夏休み返上で加納棟梁と田口氏が墨付けを行います。

その熱意に頭が下がる思いです。

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松丸太の刻みは主に若手衆が担当しました。

まだまだ経験は浅いのですが、彼らも貴重な戦力となりました。

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自然な曲がり具合を生かすように木組みされるこの松丸太。

どのように組み上がるか楽しみです。

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よく見聞きしわかり そして忘れず

2012 年 8 月 23 日 Comments off

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ひぐらしが鳴くころに、現場では基礎工事が完了しました。

所変わって今回は、社寺工場で働く若い大工衆を紹介します。

現在社寺工場では3人の20代の若者が、懸命に木と格闘しています。

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ある者は大学を卒業してこの道を目指し

ある者は10代でこの道を志し

今年加子母に集った若者たちです。

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育った環境も年齢も異なる3人ですが、共同生活をしながら共に修行中。

見聞きする事のその全てが、初めての体験でしょう。

社寺工場に赴くたびに、彼らの成長する姿を見る事が楽しみの一つにもなっています。

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そしてこれ以上望むことが出来ない程の棟梁から直接指導を受けています。

願わくは、この時の棟梁の一言一句をよくかみ締めて

常々忘れずにいて欲しいと思います。

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来月には彼らにとって、初めての堂宮の建方が待ち構えています。

雨にも負けず、炎天にも負けず

2012 年 7 月 30 日 Comments off

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気がつけば7月も残り僅かとなりました。

今回は現場での基礎工事の様子を報告します。

地盤改良工事が完了すると同時に、5月中旬より工事が開始されました。

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今回の基礎工事の特徴は、高強度コンクリートの採用です。

200年以上の耐久性を有する木造の御堂に見合う性能を求めた結果でした。

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もちろん現場での品質管理あっての性能です。

一般的なコンクリートに比較すると施工性も悪く、おまけに梅雨時期での工事となりました。

この頃は梅雨空に翻弄されながらのコンクリートの打設が続きました。

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又、季節はずれの台風により境内に被害が発生するハプニングもありましたが、特に工事には支障もなく着々と基礎が完成に向かいます。

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コンクリート打設完了後、埋め戻しが始まる時期に梅雨が明け、炎天下での作業が始まりました。

工事を担う職人衆にとっては一番過酷な時期での作業です。

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梅雨時期は合羽を着用し、全身汗で蒸れての作業です。

炎天下ではコンクリートの照り返しで熱中症と向き合いながらの作業が続きます。

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面と向かって言えませんが、黙々と作業する姿に頭が下がる思いです。

 

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