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‘搦めとりて候’ カテゴリーのアーカイブ

大河ドラマも終わったので

2017 年 4 月 23 日 Comments off
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先日、久しぶりに大阪城へ訪れました。
大河ドラマ「真田丸」も終わったので、混雑してないだろうと思っておりましたが結構な人。

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戦国時代、この地は石山本願寺がありました。
その後、豊臣秀吉が大阪城をつくり、
最後は徳川家康が新たに大阪城を作り替えたのです。
落城を繰り返した古戦場跡とも言えるような気がします。

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大阪城の隠れ観光スポットは、門の柱の継手かも。
大正時代の修理により根継ぎされたこの柱。
一見すると、どのような継手になっているかわかりません。
業界内では有名ですが、およそ30年前のエックス線調査によってこの継手の謎が解明されたそうな。
遊び心を忘れない当時の大工さんの心意気に感服するのです。
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土の中には浪漫がいっぱい

2016 年 3 月 5 日 Comments off
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先日、現場のお隣で発掘調査の一般公開があったので覗いてきました。
岐阜城の織田信長居館跡の発掘調査です。
城巡りは行っているものの、発掘調査に立ち会う機会は今までありませんでした。

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今回の発見で、金箔瓦建物の位置を特定出来た事が大きな話題となりました。
当時の記録にある濃姫の部屋があったされる建物だそうです。
想像力を無性に掻き立てられます。

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当時の土木技術の高さにも興味津々。
なにせ全て手作業、重機はありません。
おまけに突貫工事で大規模な設計変更を行ったとか。
工事が間に合わなかったら文字通り首が飛ぶ。
当時の普請は命懸け。

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今回の発掘調査の場所は居館跡。
我々の作業上は庭園跡。
改めてとんでもない場所で仕事をしているのだと実感したのです。
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国宝天守めぐりの弾丸ツアー

2016 年 1 月 5 日 Comments off
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昨年の城めぐりは福井県の金ケ崎城跡のみ・・・。
ということで、年末年始のお休みを利用して国宝城めぐりを敢行しました。
もちろん家族も巻き込んで。
先ずは近場の滋賀県の彦根城。
すぐお隣の佐和山城跡へは以前登ってみたものの、彦根城へは一度も登っていませんでした。
城主は最初から最後まで譜代筆頭の井伊家。
徳川イズム満載のお城ですが、井伊家といえば赤の甲冑で有名。
城まで「赤備え」とはいかなかったようで、赤の要素は一切なし。

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ゆるキャラのレジェンド、ひこにゃんとの謁見も叶いました。
意外にチビっ子たちはすぐ飽きちゃってましたが。

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つづいて修理が終わったばかりの姫路城。
スケールと「白」に圧倒されます。
正月ということで入場料が無料だったのは嬉しい誤算。

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天下人三代に仕えた池田氏が城主として有名ですが。
外様の池田氏は一代で転封。
こちらも本多家、榊原家、酒井家と、徳川譜代を代表するような大名が城主に名を連ねていました。
当時も姫路城は、地理的にも城郭の規模からみても重要なお城だったのでしょう。

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ラストは国宝なりたてホヤホヤの島根県の松江城。
お堀の内側に住宅があったりと、もう色々初々しいです。

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黒白パンダのこのお城。
初代藩主の堀尾家は、豊臣秀吉子飼いのバリバリの外様大名。
なので堀尾家が三代で改易後、最後は松平家が明治維新まで城主に。
徳川家に縁がないと国宝の道は険しいのかもと、思ってしまいました。

それはそれとして、短期間での国宝城めぐりは勿体無い気がしない訳ではありませんが、何やら訳のわからない達成感もあったのです。
もうやりませんが。


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撤退のはじまりの地

2015 年 6 月 24 日 Comments off
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前回のはなしを引っ張ります。
何げに見つけた城跡は、歴史上有名な場所でした。
戦国時代、織田信長が越前(福井県)朝倉氏の討伐に進軍を開始。
越前領まで侵攻したのですが、突如同盟国である近江(滋賀県)の浅井氏が裏切ります。
報を受けた信長は、挟撃を恐れて撤退戦を敢行したのでした。
これが世に言う「金ケ崎の退き口」です。
そしてこの地がその舞台となった場所でした。

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大河ドラマなどで何度も登場する戦いではありますが、
やはり現地を訪れると感慨深いものがあります。
だがしかし、
戦国時代の城めぐりに登山はつきもの。
翌日やっぱり筋肉痛になったのでした。

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是非掛川城でやって欲しい

2013 年 6 月 24 日 Comments off
清洲の模擬天守

とある方より「清洲城でイベントやるから見に来てください」と言われて休日に出掛けてみました。
自宅から30分程度なので、お手軽な家族サービスとなったのです。

で、イベントはというと

近頃流行の姫武将!

武将隊のイベントです。
織田信長、豊臣秀吉、前田利家、丹羽長秀を女の子が演じています。
隅っこのごつい武将は柴田勝家。
最近は女の子が演じる姫武将が流行っているのか?。

とある方も発見。

岐阜の方々

右から真田幸村、山内一豊、柴田勝家、織田信長。
岐阜城を拠点に活動する岐阜おもてなし武将隊だそうです。
趣味で活動しているとの事ですが、なかなか面白い。
肝心の、とある方とは山内一豊様。
左官屋さんだったりするのです。
2年くらい前は独眼竜こと伊達政宗に扮していたのですが、いつの間にやら「内助の功」で有名な一豊に。
掛川城に是非行ってほしいものです。
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高天神城制覇

2013 年 2 月 18 日 Comments off
当時は難攻不落

念願叶って高天神城に登ることが出来ました。
「高天神を制するものは遠州を制する」とまで謳われた難攻不落の城です。
搦め手門(裏門)から登っていったのですが、今回は小谷城の教訓を活かし登山シューズと登山用ステッキを装備して本丸を目指します。

で、拍子抜けするくらいにあっさり本丸へ到着。
いきなり本丸

地元の人なら誰でも知っているだろう石牢も。

ここで8年幽閉
どうも崩れちゃったぽいです。
武田勝頼に攻められ落城した際、徳川方の軍監(軍事の監督)がここで8年間幽閉されたそうな。

かなり険しい

時が移って徳川方に攻められ落城すると、武田方の軍監はご覧の道から城を脱出。
ちなみにこの時城方は総勢800人、全員討死と記録されています。
同じ役職でも人生いろいろ。

富士山を望む

今回は時間を気にする事なく探索できました。
かなりマイナーな部類に属する城ではありますが、それでも県外より同じように見学する人が思いの他多かった事が嬉しくもあります。

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気晴らしに歴史を変えた城めぐり

2012 年 10 月 24 日 Comments off
本丸までのアクセスはラクラク

前回のチビッ子達の城公園はオマケでこっちが本命でした。
織田・徳川連合軍が鉄砲3000挺余りを使用して、武田騎馬軍団を壊滅せしめたという「長篠の戦」。
そのきっかけは、この城の攻防から始まったのでした。

巨大な空堀跡

平城なので坂道もなく駐車場からあっさり本丸へ。
当時の遺構を残すのは、ご覧の巨大な空堀と土塁ぐらい。
ちなみにこの城は徳川方の城で最前線。
武田軍2万5千が攻め寄せた時、この城を500人で守りきったそうな。

上棟式前(掛川の現場)で結構体がくたびれていたのですが、ヨメと交代で車を運転。
よい気分転換になったのです。
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小谷城は燃えているか

2012 年 9 月 17 日 Comments off
ここから進軍

3ヶ月ぶりに愛馬2号機を駆り、近江の国(滋賀県)の小谷城へ登城しました。
小谷城は北近江を支配した浅井氏の居城であり、昨年の大河ドラマの舞台として有名な城でもあります。
ありますが・・・城への入口は、ご覧のような寂しげな細道から。
本丸まではおよそ2キロあるそうです。

なかなか険しい・・・

落城までに織田軍が4年を費やしただけの事はあり、道のりはかなり険しい・・・。
正攻法では数万の軍勢をもってしても攻略できない筈です。
もう途中で引き返したくなるくらい。

本丸跡・・・何もなし
当時の本丸

それでも息も絶え絶え、本丸に到着。
かろうじて石垣は残っています。
大河ドラマ効果はまだ顕在のようで、かなりの見学者が。

大河ドラマ効果か?

途中でガイドさんの説明を聞きながら見学したのですが、映画やドラマでおなじみの、落城時にお市の方と三姉妹が脱出する時に城が炎上するシーン。
発掘調査で木材の焼け跡など発見できなかった事から城は燃えなかったというのが真実との事。
浅井氏滅亡後、豊臣秀吉がこの地を拝領。
小谷城の木材などは川を利用して運搬し、長浜城に利用したというのが通説らしい。

琵琶湖を望む

それはそれとして
これだけの大規模な城も、浅井家三代50年で廃城。
まさに栄枯衰退を具現化したような悲しいお城です。
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本丸御殿へ入城

2012 年 5 月 27 日 Comments off
立派

先日、名古屋城本丸御殿の工事現場が一般公開されたので、ヨメと共に出掛けて参りました。
半年ぶりの見学ですが、今回は内部まで見学可能。
体験コーナーや各担当者による説明など、なかなか興味深いのです。


コケラ葺き中

屋根工事では、杮葺き(3ミリ程度の板で屋根を葺く工法)の模様も見学。
どこかで見たことある方だと思いきや、虎渓山にてお世話になった人たちでした。
その社長さんとも再会。
この業界、やはり狭いです。

それはそれとして
やはりお城は楽しいです。
来年の完成(1期工事)が待ち遠しくも思います。



番外編。
ヨメ、テレビ局の取材を受けるの図。

ヨメガチガチに緊張

一生の思い出となった事でしょう。
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今年の端午の節句はこれでヨシ

2012 年 4 月 25 日 Comments off
これで分かればマニア決定

昨晩ヨメよりメールあり。
添付されたのがご覧のダンボール三人衆。
先日の岡崎城の売店にて購入したものです。
これで武将の名前が答えれれば、かなりの通と言えるでしょう。

ちなみに
中央はご存知徳川家康公。
兜の前立てで判別可能。
正面左は「家康に過ぎたるもの」と称された本田忠勝(前回の銅像の人物です)。
兜で判別できますが、ヨメ手造りの槍(蜻蛉切)と胴に袈裟に掛けられた大数珠が天下無双の猛将である事を主張しています(ヨメグッドジョブ!)。
で、最後の右は徳川四天王筆頭、酒井忠次。
ヨメ手造りの腰からぶら下げた瓢箪が個性を演出しております。

これで本陣旗「厭離穢土 欣求浄土」が掲げられたらば、もう完璧。
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三河魂、ここにあり

2012 年 4 月 24 日 Comments off
復元天守

平日にお休みを頂きヨメと城めぐりに行きました。
出向いた先は、三河の岡崎城。
徳川家康の生地であり、三河侍にとっては聖地に等しき城です。
現在の天守はコンクリート製の復元天守。
だがしかし、
現存する石垣や堀、復元された大手門や櫓など見所多し。

家康に過ぎたるもの
「家康に過ぎたるもの」と称されたこの御仁も鎮座しています。

こんなものまで発見。
有名な自画像がモデル

三方原にて武田軍に惨敗した直後の家康自画像をモデルにした彫刻です。
さすがに石工の町、岡崎。
立派な御影石を使用。

などなどと、
見所いっぱいの岡崎城。
徳川の威光は侮りがたし。

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究極の城本

2012 年 2 月 18 日 Comments off
激レアと断言できます!

とある方よりタダ同然で譲って頂きました(敢えて名前は伏せときます)。
昭和36年から40年に掛けて行なわれた国宝犬山城天守解体修理報告書です。
文化財の修理工事ではご覧の様な修理報告書が発行されますが、関係者でなければ先ず入手する事はできません。
古本屋や専門店で見かけはしますがとても高価で手が出ません。
なので某図書館でコピーした修理報告書の一部(図面など)を生業の資料として揃えたりしています。

それはそれとして

お城です
一番身近なお城。
それも国宝のお城。

内容はとてつもなく深いのですが、如何せん業務が多忙を極めているのです。
熟読するのはもう少し時間が掛かるかも。
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お城を研究する

2011 年 11 月 28 日 Comments off
本丸御殿の様子

昨日は名古屋城脇のホテルにて、日伝建(日本伝統建築技術保存会)が主催する講演に参加しました。
今回のテーマはずばり名古屋城です。
歴史や意匠、当時の改修工法など
城好きには堪まらん内容でした。

本丸御殿の工事の方は、ご覧のように着々と進んでいるようです。
世間の関心が高い工事なので、関係者の方々の苦労は並大抵ではないでしょう。
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白帝登城

2011 年 10 月 13 日 Comments off
なんたって国宝

「岐阜県には3つの国宝建造物が存在します。そのうちの2つがこの御寺にあります」
と虎渓山にて現場見学の方々を説明する事3年ばかり。
愛知県も同じく3つ存在し、2つが犬山市にある事は広く知られている事です。

前置きが長くなりましたが国宝犬山城天守に久しぶりに登城しました。
来るたびに違った角度から観察です。
今回は当初材(創建当時の材料)と改修工事によって取り替えられた部材に着目。

このナグリは・・・

それはともかく
やはり何度見ても美しい天守です。
そしてやっぱりいました。
おもてなし隊。

おね様まつ様吉乃様。お江さままで降臨!

今回はなんと姫!。
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高天神城を制する者は遠州を制する

2011 年 7 月 1 日 Comments off
石碑

戦国最強と謳われた武田信玄公をもってしても陥落させる事ができなかった難攻不落の城が存在します。
ひとつは相模の国(神奈川県)の小田原城。
そして今回紹介する遠江(静岡県)の高天神城です。

先日、掛川の現場の打合せ後、帰り道に看板を発見。
ちょいと寄り道したのです。

今は看板が残るのみ

この地は当時、武田家と徳川家との勢力の最前線でした。
信玄公が逝去後、後継者の武田勝頼公が多くの犠牲を払いながら落城せしめ、天下に武勇を轟かせたのです。
しかれども、戦史に残る織田家との長篠の戦いに敗戦後、武田家は急速に衰退。
盤石な布陣で臨んだ徳川軍に、籠城虚しく城兵は城を枕に全滅と相成ったのです。
勝頼公は援軍を送る兵力もなく、結果的に見殺しにした事により家臣団の信頼をなくし相次いで離反。
翌年武田氏滅亡となりました。

高天神城は武田勝頼公の人生を左右する城となったのです。
新田次郎著の小説「武田信玄」と「武田勝頼」を学生時代に貪る様に読んだ僕にとっては感慨深い城です。

興味のない方もコレを見たらば当時の堅牢さが伝わるでしょう↓。

スゴイでしょ?

次の予定があったので5分も見学出来なかったのですが、掛川の工事が着工した暁には制覇しようと静かに心に誓ったのでした。
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町のシンボル小牧山

2011 年 6 月 22 日 Comments off
大手門より駆け上る

休日に小牧山を家族で散策しました。
織田信長公の美濃攻略の為の二番目の居城として
そして豊臣秀吉と徳川家康が天下の覇権を掛けて争った「小牧・長久手の戦い」の舞台として歴史好きなら知らない人はいないでしょう。
最近では織田信長築城時の石垣が発掘され、世間の注目を浴びているのです。

模擬天守を見上げる

小牧山へ登るのは、実に27年ぶり。
当時は見向きもしなかった土塁(堤防に似てます)に心躍ります。
模擬天守の外観は昔と変わっていませんが、内装は昨今の戦国ブームの影響か、木造風にリニューアル。
コンクリート造の天守閣ブームは、この小牧城からと以前紹介した本に書いてありました。
名神高速からよく見えるし、なにより「お城」らしく見えます。
先日紹介した清洲城模擬天守は、時代の変化か良い評価はされていないのですが、この小牧城はあまりそのような評判は聞きません。
建設されてから半世紀ほど経過して、すでに町の景色の一部となり地域のシンボルとして愛されているからもしれません。



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清洲城未だ輝きを失わず

2011 年 6 月 15 日 Comments off
模擬天守

先日、オトーサンは置いてきぼりでヨメとチビッ子達は清洲のお城へ登城したそうな。
清洲城といえば、織田信長の最初の居城であり、本能寺の変ののち、織田家後継者を決めた「清洲会議」の舞台として歴史上大変名高い地なのです。

だがしかし
現在の清洲城は・・・。
ご覧の写真は清洲城跡の近くにある模擬天守。
おそらく歴史上の考察もなく、なんとなくのイメージで造られたコンクリート製(もちろん税金で)。
なので、多くの歴史好きや城好きからは
「歴史への冒涜」とか
「後世の人々から嘲笑を買うは必定」
などなどと思われているようです。
かくいう僕もあまり興味はなく、率先して訪れようとも思わずヨメが撮ってきた写真を「ふーん」てな感じで眺めていたのですが。

僕の考えは、あまりにも浅はかでした。
お城(天守)は一部の愛好家の為に存在している訳ではないのです。

こすぷれ大会か?

なんと甲冑がまとえる!。
さらに

はなてぇ~!

火縄銃も気楽に触れます。
ご覧のように、チビッ子達は大はしゃぎ。
チビッ子達にとっては歴史的価値や考察なんぞ一切関係ナシ。
楽しければ良し。
興味が持てれば良いのです。
天下の名城の筆頭、国宝姫路城ではこんな感じですから↓。

不満をアピール中

歴史のアミューズメントパークだと思えば、この清洲の模擬天守は大変意義あるものかも。
ここに来て歴史に興味を持ち、将来歴史小説家や歴史研究家が誕生するかもしれません。

チビッ子ご満悦

これはこれでアリだと思うのです。



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