平部の野地が完成したので いよいよ杮葺がはじまります
まずは材料確認
これは 軒付裏板といって軒積の一番下端に取付ける 足の長い板です
本工事では 軒積・葺板とも椹を使用します しかも目細な赤身の柾目板
長1尺×厚7分

これは 積板です 長5寸×厚4分

正面軒付は 上軒付の中央部を取替ました

妻側 登下軒付積は 隅1m内外を残し取替ました

妻側 登上軒付裏板を取付ました
反りに合せて板を造り出すわけではなく 少ししならせながら取付けていきます
綺麗な柾目板ではしならせた際に割れてしまうので 登り部分は追柾よりの板を使用しました

妻側 登上軒付積です

軒積の拝み部分を正面から見ます
軒付の転びによる交点の折れ目が綺麗な逆三角形になっています

軒付が完成すると 箕甲下地を造ります
腐朽・破損した野垂木を取り替えました

既存の箕甲野地板と 破損した箇所の旧材は取替えながら 箕甲野地を伏せていきました
写真のように 再使用可能な旧材はその位置を変えずに伏せるため縞模様になります
箕甲の落ちが大きいため 5分厚の野地板では曲がりません こうした場合 櫛形のうえに野地板を縦張(垂木方向)しますが 文化財工事故 仕様変更はできません
しかし 現状は跳ねることなく綺麗に曲がっています
実は 箕甲だけ2.5分厚の野地板が二重になっているんです

箕甲野地を伏せ終えたら キシラモンを塗布し 屋根下地木工事完了です


どうやったら屋根が長持ちするのだろう?
以前の投稿にもありましたが、屋弛みが大きいため軒先にいくに従って勾配が緩くなります。
全体の意匠は変えずに、少しでも勾配が急になるよう母屋の口脇に飼い木をして調整しました。
別件で投稿されている【龍登院本堂新築工事】の木工事に携わる加納勝彦・田口保則両氏と、
本工事屋根杮葺を担当する児島工務店:深本英昭氏が知恵を絞りあっています。
ちょっとしたことですが、杮板の水切れが良くなり、同時に耐久性が向上するのです。

それを横からのぞいてみましょう。

文化庁調査官に屋弛み・落込みを含む修理方針を確認していただきました。

修理方針が承諾されたので、野地板を伏せていきます。
新規補足木材には全数焼印を押します。
【平成24年度修補】 次回はどの時代に発見してもらえるかな?

正面野地板は大部分を取り替えました。
野地といえども白身は御法度です。杉の赤身が綺麗ですね。
ここにもちょっとした工夫。
一見ベタ野地にみえますが、小屋裏からの空気が循環するよう、板と板の間に少し隙間を
設けました。これも、杮板の乾燥を促す大きな役割を果たします。

野地板に防腐防蟻処理を施します。
ここでは「キシラモントラッドクリア」を塗布しました。

保存修理工事の醍醐味。使える部材は継ぎ接ぎしてでも残す。
裏甲が啄木鳥(キツツキ)に突かれて穴があいていたので、埋め木をしました。
既存の杢目に合うよう、埋め木材も吟味してます。

こちらは切目縁板や縁束廻りの苔・黴を除去しているところです。
いつも洗いでお世話になっている、常進美装の丹羽氏が担当です。
苔は水分を蓄えるため、木材の腐朽につながります。
建物を長持ちさせるための大事な仕事です。
杮葺をめくり終えると 屋根下地が現れました
正面左より

背面左より
野地板の腐朽状況は正面側および箕甲(破風ぎわの端部を少し丸めるようにする納めを、箕の甲に似た形であるところから名が付いた)の軒先周辺に
集中していました。

野地板の状態を一枚一枚見て取替範囲を決定し、これまた一枚一枚に[番付札]を取付ます。
これは、解体・繕い後元通りの場所へ復旧できるようにする大切な目印です。

箕甲の落ちが深いため、この部分の野地板は平部の半分の厚さで二枚重ねで取付てありました。
手間ではあるけど、なるほど~な工夫です。

背面箕甲野地板を解体し終えると、箕甲の曲線を造り出す櫛形(骨板)はなく、曲がり木の母屋で箕甲の丸みを作り出しています。

正面の野地板は、勾配が緩いことや木材腐朽菌が原因でほぼ取替となりました。

屋根下地の解体がひと段落すると、小屋裏がのぞけます。
ざっと見渡しても建立当初の材は見当たらなかったのは残念ですが、昭和七年の修理した際の焼印がありました。
写真は化粧裏板ですが、当時の修理は大規模な解体修理であり、このときにかなりの部材が取替えられていました。
水車式製材の鋸跡でしょうか?ちょうど製材機の動力が水力から火力へと移り変わる時代です。

妻の軒付積は二段となっています。
上段は前回及び前々回にほとんど積み替えられており、下段はそれ以前のものでしょう。
小軒板の隙間が目立ちます。

最後に野地板表面をズームアップします。
少しぼけていますが、釘のようなものが無数に残っているのがわかるでしょうか?
これは竹釘です。杮板は風化して薄くなっても、竹釘だけはしっかりと残ります。鉄釘よりも長持ちする程なのは驚きです。
残った竹釘を一本一本ぬいていてはきりが無いので、新たに杮を葺くときは釘を倒して葺いていきます。

荒城神社本殿は流造ですので正面の屋根の流れが長く、軒先にいくにしたがって勾配が緩くなります。
杮板の損傷も勾配の緩い箇所に集中しています。

文化財保存修理は原則として現状の形・仕様を変更することはできません。
したがって、解体前には現状復旧できるように、詳細な調査を行います。
引通しの糸を張り、屋弛みを計測します。
大工さんはもちろん加子母から来てもらってます。

棟は「箱棟」と呼ばれる木製のもので包まれています。
注目すべきは2つ
①箱棟と杮葺との取合いに品軒という軒付が一段あるのですが、そこに面白い細工が施されています。
軒付板を規則的に透かして、矢羽を表しています。中央から外向き模られているため、破魔矢・鏑矢のような魔除けの意味があるのかもしれません。
②木表し部分に塗装がされています。現状は前回修理時に塗られた樹脂系塗装ですが、古い修理報告書から以前は油を用いた塗装が施されており、近世で一般的に塗られていた「ちゃん塗」という塗装を復原しようということになりました。 「ちゃん塗」・・・どんな塗装でしょう? 後日説明します。

写真は「駒額(こまびたい)」と呼ばれる、妻の三角部分の頂上です。
左右箕甲の廻し葺きからのつながりが綺麗です。鬼板が座する前側部分になります。

さて、調査が完了したらいよいよ解体です。
解体も、好き勝手にバンバンできません。見え隠れの状況を見ながら、また調査をしながら慎重に進めます。写真は正面の杮板が傷んでいるところです。どのような原因があるのか、どうしたら長持ちする施工ができるのかなどなど、考えながら解体します。

上部の杮板をめくると、野地が現れました。
通常杮葺の下地は野小舞と呼ばれる巾の狭い板が空かしてあるのですが、ここはベタ野地となっています。
杮板の耐久性を上げる要素の一つに、杮板の乾燥があります。小屋裏と外部の通気を良くするために空かすのですが、ベタに野地板が張られていると通気も当然悪くなります。
そのせいか、写真で野地板が白くなっている部分があります。
これは「木材腐朽菌」でして、木を腐らせる原因菌です。

杮葺の解体があと少しとなりました。
